Straight Outta Street

#FIND STORY – YAMATO

“SNOWMAN”として学生世界大会に進出したのを始め、国内外で数々のタイトルを獲得。一方で、東京大学医学部卒業という異色の経歴を持つ。そんな、記録にも記憶にも残り続けるプレイヤー・YAMATOのストーリー。

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ダブルダッチを始めるまで

突っ込みどころが多すぎる経歴ですが、どんな子供時代を?

4歳の時から公文式に通っていて、物心がついた頃には勉強をしていました。テストや模試で、どのように勉強して1番を取るか、ゲームのように取り組んでいました。僕はどんなことでも戦略を考えることが好きなんですが、それは勉強がきっかけだったのかなと思います。

中学校では野球部に入っていました。そして、ピアノを10年以上続けていたこともあり、高校からはバンドを始めました。当時寮生活だったので、音楽か漫画くらいしか娯楽が無かったんです。邦楽から始まり、ロック・ヘビーメタルなど色んな音楽を聴きました。ダブルダッチやダンスが好きになったのは、この頃から音楽に親しんでいたこともあったと思います。ベース担当だったので演奏の技術をひたすら磨き続けることがモチベーションでしたね。

ダブルダッチとの出会い

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大学受験では、入学後幅広い選択肢があることから東京大学の理科3類を受験し、合格することができました。実は、ダブルダッチとの出会いは遅かったんです。大学入学直後は別のサークルに入っていました。当時サークルを3つほど掛け持ちしていたのですが、どれもピンと来ず辞めてしまいました。大学1年生の5月のことです(笑)。

サークルを3つとも辞めて何をしようと考えていた時に、新歓で見たダブルダッチサークルのことを思い出しました。五月祭での公演を見に行き、サークルの一体感や盛り上がりに惹かれました。先輩たちもカッコ良くて、楽しそうで、「こうなりたい」と憧れを抱き、東京大学ダブルダッチサークル・D-actへ入ることを決めました。

全く上手くいかなかった初心者の頃

遅れて入ったこともあり、上手くいかない時期が続きました。入った当初は、2つ上の城さんというオールラウンドプレイヤーの先輩に憧れていたんです。ダンスも、アクロバットも、ハリーも、全部練習していたんですが、全部中途半端でした。焦りは感じていましたが、なんとなくサークルを楽しんでいた時期ですね。

実は、アクロバットには苦い思い出があるんです。高1の時から体育祭の応援団をやっていて、高3の時はアクロバットをする部門のリーダーだったんです。その時にバク転や宙返りの練習をしたんですが全然上手くいかず、ラグビー部やサッカー部のやつらがすぐに出来るようになっていくのを見て、頑張ってもできないものはあるんだなと、挫折を味わったことがありました。

ダブルダッチでもアクロバットは全然上手くならなくて、きっと合っていないんだろうなと思いながら練習していました。

強い目的意識がもたらした転機

そんな時期があったとは、とても意外です。転機はいつ頃だったのですか?

1年生の時のダブルダッチディライトで、日本大学のDSPや日本体育大学の乱縄が圧倒的に強く、先輩たちが歯が立たなかったことを強く覚えています。中学高校の時も、進学校だったので部活が弱かったんです。仲がいい先輩が大会で負けてしまう姿がその頃と重なって「D-actもそういう場所なのか」と、デジャヴのような感覚を感じました。

悲しくて、悔しくて、自分が先輩になったら、後輩を絶対にこういう気持ちにさせたくないと思いました。当時のD-actは、ダブルダッチコンテストという全国大会では上位に入れても、学生大会のダブルダッチディライトでは勝てない時期が続いていたんです。2005年にダブルダッチディライトの歴史が始まってから、ニューヨークで開催される学生の世界大会・National Double Dutch League(以下NDDL)までD-actのチームが勝ち上がったことはありませんでした。そのため「NDDLに行く」と一言に言っても、それを具体的な目標をとして描くことが出来ませんでした。それは当時、僕以外の同期もそうだったと思います。

そんな中、1年生の冬にD-actの副代表になることが決まりました。当時上手くもなかった自分がなぜ選ばれたのかは謎でしたが、次の年には代表としてD-actを引っ張っていく立場になりました。どのようにD-actへ貢献したいか、そのためにどのような戦略を立てればいいか、本格的に考え始めました。

yamato_6D-act代表時代の学園祭(2012年)